高校野球の聖地、甲子園球場。
青春の全てがぶつけられる全国大会で、敗れたチームが甲子園の土を袋に入れて持ち帰るシーンは、テレビ中継などもされている事から有名なシーンですよね。私自身も甲子園を目指していた高校球児の一人ですので憧れの舞台で精一杯のプレーを見ていると胸が熱くなります。
毎年すごいドラマが生まれますね。
そもそも敗者が甲子園の土を持ち帰る事になったルーツとは??
誰かが始めた事で風習として継承されていくわけですよね。では一番最初は誰が持ち帰ったのでしょうか。敗戦したチームである事になりますが、1949年、第31回大会の甲子園大会で敗戦した福岡県の小倉北高校の福嶋一雄という投手だったそうです。この年だけ小倉北高となっているようです。3年連続で甲子園に出場し1年生、2年生と夏の大会を連覇しているという凄い選手です。3年生時はそれまでの酷使が響いて肘を痛めていたようです。3連覇が掛かる甲子園大会の、準々決勝で倉敷工業戦でも投げますが激痛の為、変化球も投げられず、フォームも負担のかからないように色々投げ分けていたようですね。現在の高校野球の球数制限の必要性が有効である事が、この時代からも象徴的です。この試合9回までは投げたそうですが延長戦となり10回にサヨナラ負けとなり、その瞬間はレフトを守っていたようです。試合終了後にホームベース付近で無意識にしゃがみ込み、ポケットに甲子園の土を握りしめて入れたそうです。高校野球の運営委員会がそれを印象的に捉え、本人に「思い出いしてほしい」と連絡を送ったそう。本人も無意識の行動からその連絡で気づいたようです。その後、家の鉢植えに甲子園の土を入れて飾っていたようです。福嶋一雄さんは、その後社会人野球まで進まれて、都市対抗でも活躍をされていたそうです。そして野球連盟の理事に。すごいです。
新型コロナウィルスの影響で持ち帰り禁止も
2020年の交流試合と、2021年の第93回選抜甲子園大会では持ち帰りが禁止され、出場チーム全員に甲子園の土の入った瓶が送られたそうです。コロナウィルスは本当に嫌な歴史を作り上げていきますね。野球だけでなく高校という3年間で努力し、目指すべき全国大会が開催されなかった年もありました。でも努力をした事は絶対無駄にはならないので、これからの人生で苦難を乗り越えられる強い精神力が身についたと思います。色んな事に向かって頑張って欲しいですね。
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